【ネタバレ】バージョン7.3復習、最後のアレの考察

バージョン7.3メインストーリー、完全にネタバレの記事です。バージョン7.3メインストーリーがまだ終わってない人は、今すぐこの記事を閉じて下さい。

バージョン7.3の冒頭、ラキの夢の話があります。

ラキの夢

ラキの過去ですね。ルティアナラキに名前とつける。

そして、主神グランゼニス「互いを育み、互いに愛を教え合いなさい」…これは、もしかしたら重要な伏線。

ルティアナ「ラキ」と言う声が、ポルテラキを呼ぶ声とかぶる。ポルテの正体がアストルティアの化身だったことが何となく関係あるような演出。

そして、メレアーデが来て、ラキメレアーデに謝る。メレアーデラキは、お互いに「ごめんなさい」してその話は終わり。

メレアーデ

メレアーデポルテちゃん。人の気持ちに敏感で、そこに寄りそえる、あなたはそういう子ね」

そう、ポルテはそういう子なのだ。これもちょっと伏線っぽい。

ポルテ「え~ 普通のことだと思うけど…」

そう、まぁ、普通かな?いい子ではある?でもまぁ、とても普通。

メレアーデ「その普通のことが…むずかしいものなのよ」

あ、うん、そうだね。大人の世界は色々ね…?

そして話は進み、グランゼニス(孫ゼニス)にゼニアスの主神になってもらう話。王笏(おうしゃく)と王冠が必要で、王笏女神ゼネシアが持ってる。王冠女神ルティアナからグランゼニスに託されている。グランゼニス「いつの日かゼニアスの主神を継げ」女神ルティアナから命令されていた。

でも、王冠は勇者の力の奥底に封印されていて、勇者と大魔王が協力してグランゼニスの試練をクリアすると、王冠の封印が解ける。

アンルシア

勇者姫アンルシアゼニアスの人々を救うのに勇者がチカラを尽くすのは、当然のことです。」

アンルシアは、アストルティアと関係ない、放っておいてもいいはずのゼニアスの人々を救うのは「当然」と言い切りました。自分のチカラで救える人々を救うのは、勇者として当然。さすが勇者。

それで、グランゼニスの試練はあっさりクリアとは行かず、魔界の魔王たちに宣誓してもらう(忠誠を誓ってもらうんだっけか?)ため、魔界を冒険することになる。

そして、色々あって、王冠を手にいて、後はグランゼニスゼニアスの主神になってめでたしめでたしてすね。え、執行者が暗躍してる?まぁ、そっちはどうにでもなるのでは?主神がいれば。

ゼネシア

と思いきや…

グランゼニス

グランゼニス「私はゼニアスのことは何も知らない。この世界(ゼニアス)の神になるべきはあなたでしょう、女神ゼネシア

ん?ああ、そう?女神ゼネシアが主神になっても別にいいかな?ポルテラキも、女神ゼネシアが主神になることに賛成します。ずっと、グランゼニスゼニアスの主神になる話だったけど、別におかしくはないかな?

ゼネシア

王冠を受け取った女神ゼネシア「…オーブは 現れぬか」

王笏王冠が揃ったら、オーブが現れるはずだったのでしょう。オーブが何なのかは明らかにされていませんが、何かの条件を満たしていないのかも知れません。

そして…

ゼネシアとグランゼニス

女神ゼネシアルティアナは、さぞやあなたを可愛がったのでしょうね」

おぞましい

女神ゼネシア「なんと おぞましい

そして、女神ゼネシアグランゼニスを石にして去ってしまいました。その際、「主神ゼネシア」と名乗りました。

え?は?びっくりですね。女神ゼネシアは頭がおかしくなってしまったのでしょうか?既に執行者やジア・クトの手が伸びていて、何かされていたのでしょうか?

でも、一連の流れからの「おぞましい」を、女神ゼネシアが正常であるという前提で考えてみたのですが、すると、グランゼニスに問題があるのではないか、と思います。

石にされる直前に、グランゼニスは何と言っていたか。

グランゼニス「私はゼニアスのことは何も知らない。この世界(ゼニアス)の神になるべきはあなたでしょう、女神ゼネシア

この発言は、『僕はゼニアスのことなんて何も知らないし、ゼニアスの人々なんて自分には関係ないからどうでもいい。主神なんていう面倒くさいこと、ゼネシアさんがやってよ。ゼネシアさんの方がゼニアスを良く知ってて適任でしょ』とも受け取れます。ゼネシアに主神の座を譲るというのは、主神になるように育ててくれたルティアナへの裏切りでもあり、「譲る」と言うと聞こえは良いですが、神としての責任の放棄ではないでしょうか。

勿論、人間の論理としては、ゼネシアの方が適任というのは筋は通っているように思います。ただ、神としては、いががなものでしょうか。

主人公(自分)とポルテアストルティアの人々は、何も知らない・関係ないゼニアスの人々を助けました。勿論、それがアストルティアを救うことつながるからというのもあるでしょうけれど、命がけでゼニアスの人々を助けるときに、そんなメリット/デメリットだけみたいな考え方はしなかったでしょう。

単純なメリット/デメリットではない利他的行動、それは「愛」と言っても良いでしょう。

ちっぽけな人間の「愛」ですら、初対面のゼニアスの人々を助けたのに、グランゼニスは、神なのに、知らない人々は助けない。「愛」が欠如してる。ポルテたちよりも劣る。ルティアナから可愛がられて「愛」をただもらうだけで育って、神の愛を遍く与えることを知らない欠陥神グランゼニス…なんとおぞましい…

僕は、女神ゼネシアはこう考えたのだと思います。

あきら
あきら

勿論、全然違うかも知れませんが、これまでの情報による、僕の意見です。

この記事を最初から読んでみてください。

メレアーデポルテちゃん。人の気持ちに敏感で、そこに寄りそえる、あなたはそういう子ね」
主神グランゼニス(孫ゼニスではない)「互いを育み、互いに愛を教え合いなさい」
メレアーデラキは、お互いに「ごめんなさい」
勇者姫アンルシアゼニアスの人々を救うのに勇者がチカラを尽くすのは、当然のことです。」

つまり、『「愛」はただもらうだけのものではなく、お互いに与える・育む・教えあうもの』というようなことが、バージョン7.3全体のテーマだったのではないでしょうか。

皆さんはどう思いますか?

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